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聖ポリカルポ司教殉教者  St. Polycarpus E. et M.     記念日 2月 23日


 火に近づけば近づくほど、その熱を受ける事も甚だしい。されば火のような信仰の持ち主であった使徒達の直弟子が、衆に勝れた熱烈な信仰を有していたのも不思議ではあるまい。一昨日の所に記した聖パウロの愛弟子聖テモテオなどもその一例であるが、本日此処に語ろうとする聖ポリカルポも同様に、主の最愛の使徒であった聖ヨハネの弟子で、恩師の名を恥ずかしめぬ信仰の勇士であった。
 聖ポリカルポの生い立ち、その他年少の頃の事は別に知られていない。知られているのは彼が使徒聖ヨハネの掩祝を受けて、スミルナの司教に挙げられた時からである。その後彼の感ずべき言行の数々は、彼の弟子なる聖イレネオの言葉にも、また彼の親友で107年に殉教したアンチオキアの司教聖イグナチオが死の直前彼に送ってその完徳を誉め讃えた告別の手紙にもはたまたスミルナに於けるキリスト教信者の殉教録にも、相当つまびらかに記載されている。後にリオンの司教になった聖イレネオの書いた恩師追想記には次のような一節がある。
 「私は少年の頃小アジアにいて、度々聖ポリカルポ師のお傍に侍ったものであった。私には今も、先生の腰掛けておられた所、その教え振りや教えの話し、その歩き振りやご様子など、ありありと思い出される、そして先生が聖ヨハネその他主を親しく仰ぎ奉った人々と交際された話や、主やその御徳、その聖教に就いてそれらの人達から聞き伝えられた話などは、まだ私の耳にまざまざと残っているのである。」
 西山に没せんとする太陽は、もう一度赤々と燃え輝いて、その名残に物皆を美しく染めなすが、殉教の日を迎えた聖ポリカルポも、同様に麗しい徳の光を放って人皆に深い感動を与えた。即ちネロ皇帝やドミチアノ皇帝の御代、ローマ帝国にはキリスト教に対する憎悪が漲り、殊に小アジアの人民はさながら悪魔に憑かれた如く、狂的に信者を迫害圧迫し、その毒手にかかって命を落とした信者も多かったが、156年の2月末スミルナに於いても12人の信者が捕らえられ、内一人の棄教者を除いて悉く猛獣の餌食にされ、殉教した殊があった。然し血に飢えている観衆はそれだけの犠牲でなお満足せず、「ポリカルポも引き出して殺せ!」と異口同音に叫ぶので、人民の心を失うのを何よりも懼れている法官ニケータスとその子のヘロデは、早速ポリカルポを引き来らしむべく数人の兵士を遣わした。
 かねてよりこの事あるを覚悟していた老ポリカルポは、少しも驚く気色なく、却って懇ろに兵士等を招じ入れ、果物などを饗応した後、殉教の準備として少し祈りがしたいからと、暫時の猶予を請うた。その従容たる神々しい態度と柔和にして礼譲に富んでいる応対振りに、感じ入った兵士の頭、百夫長は快くその願いを許したが、聖人の祈りを献げる厳かにも気高い様子を見ては、これこそ誠の神の如き人であると更に感動を新たにし、ついに特別の計らいで拘引を翌朝まで延期する旨を申し出た。
 感謝の涙にくれたポリカルポは、その夜一夜を祈りと天主への最後の献身の誓いの内に過ごした。次の朝約した如く兵士が来て、彼を鎖に繋ぎ引きゆく途中、裁判官ニケータス及びヘロデはわざわざ馬車で出迎え、聖人を同乗させた。然しそれは憐れみの為ではなく、寧ろ彼を動かして信仰を棄てさせる為であったのである。が、如何に脅してもすかしてもその効なかった時、彼等は本心を現して、荒々しく馬車の上から老人を突き落とし、相手が負傷しても少しも意に介する所がなかった。
 間もなく円戯場に着くや、裁判官は満座の衆の面前で厳かに「イエズス・キリストを罵り、神聖なる皇帝陛下を礼拝し奉れ!そうすれば釈放して取らせるであろう」とポリカルポに命じた。聖人はこれを聞くと容を改め、
 「私はキリスト教の信者です。願わくは暫くいとまをお与え下さって、私の申し上げるキリスト教の信条を一通りお聞き下さい」と教理の説明を始めたので、法官が、「そういう事は人民に言い聞かせるがよかろう。本官には必要がない」と言うと、ポリカルポは「いいえ、かような正しい道は貴方のような方々にこそ必要でございます。何となれば貴方がたが人の上に立つ権は天主から与えられたものでありますが、その権に相応しい尊敬と服従とを人民から受けるには、まず自ら正しくせねばならぬからであります」と答えた。裁判官は立腹して、「命に服せぬならば責め苦拷問にかけ、死刑に処すぞ」と威嚇したが。ポリカルポは少しも恐れず、ただ天を仰ぎ無言で祈りに耽るばかりであった。
 遂に一人の役人が円戯場に現れて「ポリカルポはキリスト教信者なる事を自白したるにより火刑に処す」と三度宣告を高らかに叫び伝えた。すると群衆は待ち構えていたように、近所から手に手に薪を抱えてきて、場の中央に山の如く積み上げたが、聖ポリカルポの殉教録によれば、当日はあたかも安息日に当たり、ユダヤ教の律法にはその日の肉体的労働が絶対に禁じてあるにも拘わらず、多数のユダヤ人がその群衆の中に交じって、姦しく騒ぎながら薪を運んだとある。これを見ても如何に彼等がキリストの弟子を憎んでいたか察せられるであろう。
 薪の用意が出来ると、老ポリカルポはやおら衣を脱ぎ、自らその上へ登って行った。兵卒等が彼の逃走を懼れて、薪の山の中央に立てられた杭にその体を釘付けようとすると、聖人は「どうぞこのままにおいて下さい。よしや柱に釘付けられずとも、決して逃げも隠れも致しません。火炙りの刑という有難い殉教の恵みを与え給うた天主は、必ずまたその苦しみを耐え忍ぶ力をも賜うでしょうから」と願ったが、兵卒等はなお危ぶんで彼を縄で杭に縛りつけた。
 いよいよ火は放たれた、もうもうとあがる黒煙、炎々と燃え立つ紅蓮の炎。ポリカルポはぱちぱちとはぜる火の音を聞きながら一心に祈った。
 「全能なる天主、愛すべく讃美すべき聖子イエズス・キリストに依りて御自らを啓示し給いし御父、我は殉教者の数に加わり、聖子の苦しみの御盃を共にせんとする栄えあるこの日この時を感謝し、心の底より御身を讃美し奉る!」
 既に身も魂も主の聖手に委ね奉った彼の心は安らかであった。が、観衆は思わず驚きの叫びを挙げた。見よ炎は聖人の体を避けて左右に分かれ、却って後光の如く麗しくその身を飾っているではないか。これが奇蹟でなくて何であろう!
 意外の成り行きに仰天したニケータスは、慌てて一人の兵卒に命じ、槍で彼の胸を刺し貫かせたので、ポリカルポも遂にその魂を天父の御許に返したが、その時彼の胸から血が流れ出たと思うと、さしも燃えさかっていた火焔も、見る見る大雨に逢ったように消えてしまった。これ又奇蹟という外はない。
 信者達はこの偉大な聖人の遺骸を引き取ろうとしたが、ユダヤ人達はニケータスを通じて総督に「キリスト教の信者達がポリカルポを第二のキリストとして崇めることがないように、屍を焼き捨ててください」と頼んだので、総督はもう一度その殉教者の亡骸を薪の上にのせ、焼き捨てさせた。しかし信者等はなおも苦心してその遺骨を集め、これを教会に保存し、以て今日に及んでいる。彼の殉教記の終わりには次のような賞賛の辞が見出される。曰く、
 「聖ポリカルポの殉教は実にかくの如くであった。彼はスミルナに於けるフィラデルフィアの殉教者中12人目であるが、何人にも勝る名誉を得て、至る所で、異教人の間に於いてさえその名を喧伝されるようになった。彼は優れた教師であったにみならず、万人の範とすべき偉大な殉教者であった。彼は苦痛を甘受忍耐して裁判官に勝ち、不滅の栄冠を獲得して今は使徒達聖人と共に天主を讃美し、全能なる聖父の光栄を謳い、我等の霊魂の救い主にして指導者、且つ全世界の公教会の牧者に在すイエズス・キリストを称えている」と。

教訓

 我等も聖ポリカルポを鑑として、いかなる艱難、迫害、試練に逢うとも、常に信仰に忠実に、終わりまで耐え忍ぶよう心がけねばならぬ。


「主イエズス・キリストの御父なる神よ、わたしたちの中に信仰と真理と柔和を増してください。
そしてあなたの聖人の仲間に入れてください」

                                    聖ポリカルポの祈り